乳がんファイターDiary / Diary of Breast Cancer Fighter

独身、一人暮らし。働きながら遺伝性の乳がんと闘います。

乳がんファイターDiary / Diary of Breast Cancer Fighter in Japan

3回手術のワケ。

さて、前回の記事で3回手術をしたことを書いたのですが。

今回は、なぜ3回の手術に至ったのかを書いてみます。

 

まず1回目。

もともと、朝8:30に手術室に入り、先生は「22:30ごろには終わらせる!」って鼻息荒く言ってたけれど、日付が変わるくらいならまだしも、翌日5:30AMに部屋に戻ってくるという前代未聞の約21時間オペ。

かなり長時間のオペだったため、麻酔からハッキリと覚醒することはなくって、回診の時に「右胸が痛い」ということだけは何度か伝えていた。

病室で回診の様子を見ていた母曰く、右胸だけぶどうみたいな色になって、バレーボールくらいの大きさに腫れ上がっていたとか。

きっと、バレーボールは大げさ。(笑)

主治医曰く、今まで1,700人くらい手術してきたけど、こんなに体が腫れて浮腫んだ人は、私以外に3人しかいなかったと。

またまたレアキャラモード発動。

4人/1,700人ですよー。

私も痛いって言ってるし、色はおかしくて、腫れ上がってるし。

血管がきちんと繋がっていなく、血流が悪いのかもしれないということで、2回目の手術へ。

 

2回目。

手術日から2日後。

といっても、部屋に戻ってきたのが既に手術の翌日だったので、実際は手術後翌日っていうカウントになるのかもしれない。

状況が全く改善されないので、2回目の手術。

切れてた疑惑の血管はきちんと繋がっていたけれど、血管が細すぎて血流が悪くなっているのかもしれないということで、腰のあたりからより太い血管をもってきて繋ぎなおしという対応。

これで状況が改善されるかと思いきや、相変わらずの右胸。

2回目の時は、胸よりも腰痛の方がひどくて。

とりあえず、「痛いです!(腰が)」と伝えて、点滴・飲み薬などもらってみるも、腰痛に対してって、痛み止めが全く効かないんですね。

腰が痛すぎて胸の痛みになんて全く意識がいかなかったけど、ぶどう色のバレーボール状態は相変わらずだったらしい。

 

ついに3回目は、緊急手術。

主治医から、「腫れがすごいから血管が押しつぶされてしまっているのだと思う。だから、脂肪を少し抜いて、腫れても大丈夫なようにしよう。もう一度だけ手術をさせてくれる?緊急手術するから。」と。

この日は主治医の外来の日。

外来診察は、いつも2~3時間待ちは当たりまえ。

診察を待ってる人がいっぱいいるのを知ってるし、全国から主治医目当てで来ている人がいるのも知っている。せっかく再建を楽しみに主治医のところに来ているのに、私のせいで会えないなんて申し訳ないなー、と心の中で思ってしまった。

そんなことを思いつつ、麻酔から抜けきらない状態で絞り出した言葉は「右だけ脂肪を少なくしたら、左右のバランスがおかしくなっちゃうのはどうするの?」という質問。

主治医からは、「すぐには修正できないけど、1年後に修正しよう。」と。

また1年後に手術するのかよ!と思いながら、渋々OK。

3回目の手術後は、肺に水がたまったり、潰れてしまったりとHCUに入ったものの、やっと、やっと、3回目にして私の再建手術は終わったのでした。

 

要約しますと、私は珍しいくらいの浮腫み体質で、主治医もビックリなくらい体が腫れあがり、血管が押しつぶされてしまったために3回の手術で対応が必要だったのでした。加えて、抗がん剤治療により血管がもろくなっていて、切れやすく、それもとても苦労したのだそう。

 

はぁーっ!長かった。

ここまで本当に長い道のりだった。

 

次からは、麻酔覚醒後からのお話。

 

 

 

 

メタルスライムなみのレアキャラ。

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